
ナッティ・ナターシャって…めっちゃキレイじゃないっすか⁉
なんか、画面越しでもオーラやばいっすよこの人…!

でもその華やかさの裏には、あのレジェンドの存在がひっそり隠れてるんだ。
いわば“ドン”が育てた、美しきクイーンってわけさ。
0〜5歳(1986〜1991)|ドミニカ共和国サンティアゴでの誕生と幼少期
ナッティ・ナターシャ(本名:Natalia Alexandra Gutiérrez Batista)は1986年12月10日、ドミニカ共和国の第二の都市サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロスに生まれる。
ナッティは幼少期から音楽に強い関心を示し、わずか4歳のときには地元の教会の聖歌隊に参加。早くも人前で歌うことへの喜びと才能を発見していた。また、当時からメロディに合わせて踊ったり、即興で歌を作るといった行動が自然に現れていたという。
家庭の中ではスペイン語のバラーダ、メレンゲ、サルサなどの伝統的なラテン音楽が日常的に流れ、音楽は彼女の生活の一部となっていた。
6〜10歳(1992〜1996)|音楽への目覚めと女性アーティストへの憧れ
ナッティが6歳になる頃には、ラジオやテレビで流れるアメリカのR&Bやポップスに夢中になっていた。特にローリン・ヒル、ジェニファー・ロペス、ホィットニー・ヒューストンなど、強くて美しい女性アーティストたちが彼女のロールモデルとなっていく。
11〜15歳(1997〜2001)|音楽学校での訓練と創作の芽生え
13歳になると、ナッティは正式に地元の音楽学校に通い始め、声楽を中心とした本格的な音楽教育を受ける。クラシック音楽の基礎や、楽譜の読み書き、コーラスでのハーモニーの取り方など、プロとしての素養を磨いていった。
また、彼女はこの時期から作詞にも興味を持ち、日記のような形で詩を書きため、それをメロディに乗せることで自然と楽曲制作を始めていた。中学・高校時代は文化祭や地元のコンテストにも積極的に参加。自らの声とパフォーマンスで観客を魅了することに確かな手応えを感じ始めていた。
16〜20歳(2002〜2006)|夢を追ってニューヨークへ──試練と成長
10代後半、ナッティは「自分の音楽を世界に届けたい」という想いから単身でアメリカ・ニューヨークへ移住。家族の支援は限られており、彼女は生活費と音楽活動の両立に苦しみながらも、自分の道を切り拓こうとする。
ニューヨークでは昼間にネイルサロンやレストランなどで働き、夜はブロンクスの地下スタジオに通ってデモ曲を制作。周囲の無関心や偏見にも耐え、彼女は一歩一歩前進した。ラテン女性としてのアイデンティティを武器に、自らのサウンドを模索していった。
この時期は「音楽で食べていけない」という現実に何度も打ちのめされ、帰国を考えたこともあったという。
21〜25歳(2007〜2011)|Don Omarとの運命的な出会いと初の脚光
2008年、転機が訪れる。レゲトン界のカリスマDon Omarが彼女のデモを聴き、その才能に惚れ込む。彼のレーベル「Orfanato Music Group」と契約し、ついにプロとしてのキャリアがスタートした。
Don Omarのプロジェクト『Meet the Orphans』に参加し、「Dutty Love」などで注目され始める。この時期はまだ裏方的な役割が多かったが、業界関係者からの評価は高まり、次第にその存在感を示していった。
ただし、女性アーティストとして主役の座を勝ち取るのは容易ではなく、成功と無名の狭間で苦しむ時間も長かった。
26〜30歳(2012〜2016)|下積み、葛藤、そして再起動
この時期は商業的には目立った成果が少なかったものの、ナッティにとっては自己鍛錬と創造性の時代だった。数多くのコラボレーションに参加しながら、自らのスタイルを確立していく。
また、卵巣に腫瘍が見つかり、将来子どもを持てないかもしれないという診断も受けた。このニュースは彼女にとって大きな精神的打撃だったが、それを乗り越えてさらに芯の強いアーティストへと進化するきっかけともなった。
31〜35歳(2017〜2021)|世界的ブレイクと母としての挑戦
2017年、Ozunaとのコラボ「Criminal」が大ヒット。YouTubeでは27億回以上の再生を記録し、ナッティは一躍世界のレゲトン・スターとしての地位を確立。
その後も「Sin Pijama(with Becky G)」「No Me Acuerdo(with Thalía)」「Me Gusta」など、強い女性像を打ち出すヒット曲を連発。2019年には初のフルアルバム『IlumiNATTI』をリリースし、ビルボード・ラテンチャートで首位を獲得した。
2021年にはパートナーのRaphy Pinaとの間に第一子Vida Isabelleを出産。母としての喜びと、音楽キャリアとの両立に挑み始める。
36〜現在(2022〜2025)|成熟する表現力と第2子妊娠の発表
2022年、2作目のアルバム『Nattividad』をリリース。人生経験を反映させた歌詞や、母としての葛藤、強さを描いた作品が多く、ファンの心を打った。
2025年には第二子の妊娠を発表し、一部のツアーをキャンセル。公式サイトやSNSでは、ファンへの感謝と未来への期待を綴った感動的なメッセージを発信している。
現在も彼女は、音楽と家族の両立を図りながら、レゲトンというジャンルにおいて女性の可能性を切り拓き続けている。
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