Bad Bunny|スーパーの袋詰め係から、世界一のラテンスターへ!|

ARTISTS
CHIRO
先輩、Bad Bunnyってなんでそんなにスゴいんすか?
再生数ヤバいのは知ってるけど、正直よくわかんなくて…
Ichi the JP
おまえな、あいつはラテンの枠を超えて世界のカルチャーそのものなんだよ。
でもな、最初はプエルトリコのスーパーで袋詰めしてたただの青年だったんだぜ。
CHIRO
えっマジっすか!?
それで今じゃ“キング”って…どんな人生っすか!?
Ichi the JP
よし、教えてやるよ。Bad Bunnyがどうやって世界一のラテンスターになったのか――
幼少期から今まで、じっくり見ていこうぜ。

Bud Bunny(バッド バニー)

Instagramフォロワー数:4,800万人以上
X(旧Twitter):4,200万人以上
Spotify月間リスナー数:6,800万人(2025年4月時点)

【幼少期(〜5歳)】音楽に目覚めたベンニート少年

本名はベンニート・アントニオ・マルティネス・オカシオ(Benito Antonio Martínez Ocasio)。1994年3月10日、プエルトリコのアラウィョ地区ベガ・バハで誕生。

母親は英語教師でありながら熱心なサルサやメレンゲのリスナーで、家庭には常に音楽が流れていた。特にマーク・アンソニーやヘクトル・ラボーをよく聴いていたという 。父親はトラック運転手。音楽業界とは無縁ながら、家庭に安定をもたらしていた。

まだ言葉もうまく話せないような幼少期から、Bad Bunnyは周囲の大人に混じってサルサやレゲトンに反応を示すなど、早くも音楽的な感性を見せていたとされる。

【児童期(6〜11歳)】教会のコーラス隊で歌う

小学校時代は内気で目立たない子だったが、教会でのコーラス活動は彼にとって大切な居場所だった。
「歌うときだけは、自分じゃない誰かになれるような気がした」と彼は振り返る。

またこの頃、自宅で観ていたテレビ番組『Sábado Gigante(サバド・ヒガンテ)』に出演していたレゲトンアーティストに憧れを抱き、「将来、あんなふうにみんなの前で歌いたい」と夢を持つようになる。

当時のお気に入りのアーティストは、Daddy YankeeやHéctor el Fatherといったプエルトリコのレゲトン界のパイオニアたち。彼の音楽の原点は、この時期にしっかりと根を下ろした。

学業は決して得意ではなかったが、音楽に対する集中力と情熱は群を抜いていた。

【思春期(12〜17歳)】自室で録音、SoundCloudで発信

中学・高校では、自作したビートに自分の声を乗せて録音するDIYスタイルで創作を始める。
使用していたのは、学校のMac教室で見つけたGarageBand。誰かに習ったわけではなく、すべて独学。

彼はこの時期、「変わり者」と呼ばれることも多かった。流行に乗る同級生とは異なり、ネイルアートやカラフルなスニーカー、ボロボロのTシャツを個性的に着こなしていた

「周りがどう見ようと、自分がクールだと思えばそれでいい」という姿勢は、今の彼のアイデンティティの原点でもある。

そして、SoundCloudに投稿した楽曲「Get」で少しずつオンラインでの注目を集める。

この時期につけた名前「Bad Bunny」は、幼稚園時代にウサギの耳をつけてふてくされた顔をしていた自分の写真がSNSでバズったことにちなんで名付けたという。
“可愛いけど毒がある”——そのギャップも含めて、彼のブランディングはこの時すでに始まっていたのかもしれない。

【青年期(18〜22歳)】スーパーで働きながら夢を追う

大学では視覚コミュニケーション(広告やデザイン)を専攻。
芸術的感性とストリートカルチャーへの理解を学術的に磨いたこの時期、彼は昼間は学生、夕方から夜はスーパーのバガー(袋詰めスタッフ)として働き、帰宅後に音楽制作に没頭するというハードな日々を送っていた。

2016年、彼のSoundCloudに投稿された「Diles」が、DJ Luianの目に留まる。
彼はすぐにBad Bunnyに連絡を取り、レーベル「Hear This Music」と契約を結ぶ。

「何かが大きく変わったのは、まさにこの瞬間だった」と後に本人が語っている。

【ブレイク期(23〜25歳)】“Latin Trap King”へ

2017年、J Balvinとのコラボ「Si Tu Novio Te Deja Sola」や、2018年Cardi B、J Balvinとの「I Like It」などで一気にブレイク。

彼のラテン・トラップスタイルと独特の声質、そしてジェンダーレスなファッションは、従来のレゲトン・ラッパー像を塗り替えた。

2018年末には自身のデビューアルバム『X 100PRE』を発表。批評家からも絶賛され、Rolling Stone誌やPitchforkなどの主要音楽メディアで高評価を獲得。


さらに、翌2019年のJ Balvinとのジョイントアルバム『Oasis』も世界的ヒットとなった。

この時期、彼はメンズ誌でのネイルアート公開や、女性用スカートを着用したMVなど、性別の壁を曖昧にする表現でも注目されるようになる。

【黄金期(26歳〜現在)】史上初の快挙を連発

2020年にリリースされた『YHLQMDLG』は、米ビルボード200でスペイン語アルバム史上最高位(当時)となる2位を記録。

アルバムタイトルは「Yo Hago Lo Que Me Da La Gana(やりたいことをやる)」。
まさに彼の信念をそのまま言葉にしたものだった。

同年にはプロレス団体WWEに出演し、実際にリングで試合までこなすなど、音楽以外でもエンタメの枠を拡張。
2022年の『Un Verano Sin Ti』は、Spotify史上最多再生アルバムとして名を刻んだ。

またTIME誌の表紙を飾り、「2023年で最も影響力のある100人」にも選出。
彼のファッション、表現、姿勢は、多様性を支持するZ世代の“シンボル”とも言える存在になった。

CHIRO
どこまで行くの、バッド・バニー先輩…!次は宇宙ですか!?

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