Ivy Queen |男たちの牙城を突き崩したラ・レイナ

ARTISTS
Ichi the JP
なぁレゲトンの女王って誰か知ってるか?
CHIRO
え?それってKarol G?
それか…Rosalíaですか…?(スペインだけど)
Ichi the JP
いやいや、そいつらの“先輩中の先輩”だよ。
Ivy Queen(アイビー・クイーン)って聞いたことあるか?
CHIRO
…やば、知らないっす…
そんなすごい人なんすか!?
Ichi the JP
レゲトンが男ばっかだった時代に、
1人で戦ってのし上がった人だよ。
曲もメッセージもマジで強い。
CHIRO
…それ知っとかんと恥かくやつっすね!
教えてください!先輩!!
Ichi the JP
OK、じゃ今日は
“ラ・レイナ”ことIvy Queenの物語を教えてやるよ。
この記事読んだら、レゲトンの見方が変わるぜ?

Ivy Queen(アイビー・クイーン)

Instagramフォロワー数:900万人(@ivyqueendiva
X(旧Twitter)    : 8.5万人
Spotify月間リスナー数 : 490万人

0〜10歳(1972–1982)|アニャスコ生まれ、ブロンクス育ちの少女

Ivy Queen、本名Martha Ivelisse Pesante Rodríguezは、1972年3月4日、プエルトリコ西部アニャスコで生まれた。

幼少期に家族とともにアメリカ本土へ渡り、ブロンクスで育つ。ラテン移民の多いこの地域では、メレンゲ、サルサ、そして当時勃興しつつあったヒップホップのリズムが日常に溶け込んでいた。

早くも子どもながらに「男たちが主導権を握る世界」に違和感を覚えていた彼女は、「自分の声」を持ちたいという強い衝動を抱くようになる。

11〜20歳(1983–1992)|ストリート育ちと音楽への本格的な一歩

10代になると、Ivy Queenはニュージャージーのパフォーミング・アーツ・スクールに通い、ボーカルやパフォーマンス技術を学ぶ。

その後、プエルトリコに戻り、サン・フアンのアンダーグラウンド・シーンへと足を踏み入れる。当時のプエルトリコは、レゲエ・ヒップホップ・ダンスホールなどが混ざり合い、新しい音楽ジャンル=レゲトン前夜の時代だった。

そんな中で彼女が加入したのが、伝説的DJプレイヤー・ネグロが率いる音楽集団The Noise

女性メンバーはIvy一人という環境の中で、彼女は生き残りをかけて強烈なライムを叩きつけ、瞬く間に注目を集めていく。

21〜30歳(1993–2002)|ソロデビューと孤独な闘い

1996年、デビューアルバム『En Mi Imperio(私の帝国の中で)』をリリース。タイトルからも分かる通り、「誰にも支配されない」という意志が込められていた。

この時代、レゲトン界は男性ばかりで、露骨に女性蔑視的なリリックも多かった中、彼女はその流れに真っ向から対抗する存在だった。

しかし、業界の反発やメディア露出の少なさから、当初のキャリアは決して順調ではなかった。

1998年の2ndアルバム『The Original Rude Girl』は評価されたものの、セールス的には伸び悩んだ。Ivy Queenは“過小評価された才能”として、長いトンネルを抜ける日を待ち続けた。

31〜40歳(2003–2012)|Diva爆発、ラ・レイナの誕生

2003年、彼女の運命を変える作品が生まれる。それが3rdアルバム『Diva』だ。

代表曲「Quiero Bailar」は、セクシャルな関係性における女性の主導権を明快に主張する内容で、当時としては革新的だった。

この楽曲はヒットチャートを席巻し、Ivy Queenは“レゲトンの女王(La Reina del Reggaetón)”として君臨するようになる。

以降も『Flashback』『Sentimiento』などの作品を発表し、バチャータやサルサの要素も積極的に取り入れることで、彼女の音楽性は深化。

同時期には私生活でも結婚・離婚を経験し、楽曲のテーマにもより感情のリアリティが加わっていく。

41〜50歳(2013–2022)|多様性の探求とセルフプロデュース

40代に入ると、Ivy Queenはより独立志向を強める。2015年には、自身で設立したレーベルから4枚組の大型アルバム『Vendetta』を発表。

この作品は、レゲトン/ヒップホップ/バチャータ/サルサの4ジャンルで1枚ずつ構成されており、彼女の音楽的アイデンティティを総まとめした内容になっていた。

また、レコード会社に頼らず、全プロセスをセルフプロデュースするスタンスも確立。

女性としてのキャリアを持続させる難しさを逆手に取り、むしろそれをブランド化していく姿勢が、多くの新世代女性アーティストの指標となった。

2021年にはSpotifyオリジナルの音楽ヒストリーポッドキャスト『LOUD』のホストを務め、レゲトンのルーツや社会背景について深く語った。

同年には、ヒスパニック・ヘリテージ財団からVision Awardを授与され、音楽のみならず文化的なアイコンとしても認知されるようになる

51歳〜現在(2023–2025)|伝説の地・カーネギーホールへ

2024年、Ivy Queenはカーネギー・ホールでパフォーマンスを披露。これはレゲトンアーティストとしては前人未踏の快挙だった。
ヒップホップがグラミーを制し、ラテン・トラップが世界を熱狂させる今、レゲトンもまた“アート”として認められる時代へ。その象徴として、Ivy Queenの姿があった。

Instagram(@ivyqueendiva)でも変わらぬ存在感を放ち続け、若い世代のアーティストとの共演や、フェミニズムの発信にも意欲的。
2025年現在、Ivy Queenは53歳にして最前線を走る、真のレジェンドである。

CHIRO
Ivy Queenヤバすぎっすね…
レゲトンって男だけの世界じゃなかったんすね。
オレ、ちょっと昔のレゲトンも掘りたくなってきました🔥

コメント

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