プエルトリコとコロンビアに刻まれた“音楽と暴力”のリアル

COLUMN

レゲトンは音楽か、それとも犯罪の証言か?

レゲトンは単なるダンス音楽ではない。一部のリリック&MVでは「銃」「ドラッグ」「貧困」がむき出しに語られる。その背景にはストリート・ゲットーでの日常──暴力と貧困、カルテルによる支配──が深く刻まれている。本特集では、なぜそれが起こるのか、プエルトリコとコロンビアという二地域を軸に掘り下げていく。

2020年代以降、TikTokなどのショート動画でもレゲトン楽曲が使われるようになり、ポップでセクシーなイメージが先行しているが、音楽の起源や社会的背景に目を向けると、まったく異なる景色が見えてくる。その核心にあるのが「暴力と音楽」の共生だ。

プエルトリコ発:ストリートから生まれた抗議音楽としてのレゲトン

レゲトンは1970〜80年代、プエルトリコの低所得コミュニティで生まれた。そこでの現実は、麻薬、ギャング、警察との対立の連続だった。こうした環境から登場したレゲトンの初期アーティストたちは、米国のヒップホップの影響を受けつつ、スペイン語のリリックでストリートの実情を語り始めた。

この現実を「抗議」「自己主張」として音楽に昇華したスタイルは、Gangsta Rapに近く、「薬物・暴力を肯定している」という批判も招いたが、本質は社会告発だとする研究者もいる。ラ・ペルラなどのスラム地区では、レゲトンはラジオよりも先にバリオで生き残る術だったとも言われる。

「Reggaeton tapped into our culture of violence, hoods, hitmen, drug trafficking…」と語られるように、プエルトリコの現実はいまもリリックに潜む (strangersguide.com)。一方で、「暴力を称揚するクリエイターは一部だけ」とするコア批評もある。例としてJ Balvinは、「暴力を誇示するアーティストにはゼロの敬意」と断言している (remezcla.com)。

コロンビア──“メデジンの声”に刻まれた麻薬カルテルの影

メデジン(コロンビア)はパブロ・エスコバルで知られるカルテルの本拠地。1980〜90年代の麻薬戦争は放火、誘拐、汚職、爆弾攻撃までも巻き起こした。コロンビア政府と米国DEA(麻薬取締局)の連携によって一時は沈静化したものの、地下に潜ったカルテルは今も都市部のスラムを牛耳っている。

現在もClan del Golfo(旧Urabeños)などが暗躍し、麻薬密輸と暴力が常態化している (en.wikipedia.org)。彼らの資金は音楽イベント、ナイトクラブ、プロモーション活動にも一部流れているとされ、音楽産業と裏社会の境界が曖昧になっているのが現実だ。

この地で生まれるラテン・アーバンミュージックには、暴力との隣接が日常として滲む。ボカ・デル・バリオや貧困層では、「カルテル=身近すぎる現実」だ。FeidやBlessdなどの若手も、直接的に暴力を語らずとも、その空気を背負っている。

ナルコ文化の美学──成功神話としての暴力と富

ナルコ文化」とは、麻薬カルテルが築く自身のアイデンティティや成功神話。映画やMVでは、銃や高級車、豪邸、美人、ドヤ顔…これらは麻薬で金を得た栄光の象徴だった。かつてのメデジン・カルテルのボスたちは、「庶民のヒーロー」として見られていた時期すらある。

この文化はメキシコのナルココリード(Corridos)に顕著に見られるが、レゲトンにも同様の表現が浸透している。特にトラップ寄りのアーティスト(Anuel AA、Farrukoなど)はその影響が強い。歌詞の中でプラダやロレックス、バグリ(銃)を誇示するのは、ナルコ美学の踏襲といえる。

実際、メキシコは暴力を賛美する歌曲を規制する動きも出始めた。プエブラ州やシナロア州では、ライブで暴力的な内容を歌うと罰金を科す条例が施行されている。一方、コロンビアやプエルトリコではそのような規制はまだ緩く、逆に人気の火種となっている側面もある。

アーティストの実体験──撃たれた者、逮捕された者

僕らの知るレゲトン歌手でも、「逮捕」「銃撃」「投獄」に巻き込まれた例が多い。Anuel AAなどは暴力的ストリートイメージで逮捕歴あり。El Taiger(キューバ)は銃撃事件の被害に遭い、SNSでは「誰にやられたか分かっている」と発言。アーティストの安全が脅かされる時代になっている。

実録ではないが、リアル体験をリリックにした者もいる。プエルトリコでは、警察と共謀したドラッグリングに関与し、歌手が起訴された事例もある。こうした事件がニュースで報じられると、かえって「リアルなアーティスト」としてファンからの信頼が高まる皮肉な現象も起きている。

メキシコのCorridos Tumbados(トランケード・コリード)は逆に、歌詞が犯罪促進として脅迫の対象になり、一部は出演中止に追い込まれた (en.wikipedia.org)。音楽と実社会の暴力が交差する危険地帯に、いま多くのアーティストが立たされている。

Anuel AA / Little Demon
麻薬、武器、ストリートでの生存をテーマにしたリリックが中心で、彼のストリート感覚とリアルなライフスタイルを凝縮したトラック。

Narco Trap と Narco Corridos──ジャンル融合に向けた潮流

プエルトリコ発のTrap LatinoとメキシコのCorridos Tumbadosには、共通するナルトラップ(narco trap)的要素が見られはじめている。どちらも「実在の人物」「実銃」「犯罪組織名」をリリックに落とし込む点で共通し、危険だが魅力的なジャンルとして人気が急増している。

Corridos Tumbadosでは実在の麻薬組織を支持する歌詞もあり、歌手は暴力を称揚したことで脅迫や禁止対象になっている。実際に亡くなったアーティストや行方不明になった事例もあり、命がけで音楽を作っている現状がある。

一方でラップ×レゲトンのNarco Trapでは、若者が「ゲットーを蹴破れる希望」や「成功神話」を語る手法としてナルコモチーフを借用する傾向が強い。音楽によってバリオから抜け出すことができるという“夢”を描くことが、ある意味でナルコ文化の変奏として受け入れられている。

とめ:レゲトン=文化的叫びか、カルテルとの共犯か

レゲトンは「抗議音楽」「ストリートの証言」「若者の希望」としてである一方、「カルテル文化を温存・賞賛する装置」になりうる側面も持つ。一部アーティストは、明確に暴力・ドラッグを神話化し、ナルコ成功を描いている。だが、それは現実を模倣したものとも言える。

音楽は暴力を助長しているのか、それとも暴力から逃れる手段なのか。アーティストたちはこの問いに対して、それぞれ異なる答えを出している。

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