Scene 1:バリオの少年が見た夢 – メデジン北部のリアル
「El Cantante del Ghetto(ゲットーの歌手)」──
Ryan Castroが自らをそう名乗るのは、ただのキャッチコピーではない。
その言葉には、彼が育った土地と人生のすべてが詰まっている。
本名はBryan David Castro Sosa。1994年、コロンビアのメデジン北部・ベジョ地区(Bello)で生まれた。
彼の家は裕福ではなく、幼いころから“バリオ(地区)”の現実と隣り合わせだった。暴力、失業、薬物。だがその街には、音楽だけはいつも鳴っていた。
彼は学校帰りに流れるダンスホールやレゲエのリズムを耳に焼きつけ、ノートの裏に歌詞を書いていたという。
17歳のとき、家計を助けるためにバスの中で歌い始めた。
マイクもスピーカーもない。乗客の前で声ひとつで勝負する。
この経験が、のちに彼のライブパフォーマンスに宿る“生の強さ”を作り上げた。
その頃から彼のニックネームは“el cantante del bus”(バスの歌手)──。
人々は彼を笑わず、むしろ応援した。
ストリートが最初のステージだったのだ。
Scene 2:キュラソーでつかんだ決意 – 海を越えた修行時代
音楽を続けたい。しかし生活の現実は重い。
そんな葛藤の中で、Ryanは一度メデジンを離れる決意をした。
行き先はカリブ海に浮かぶオランダ領の島・キュラソー。
観光地として知られるその島で、彼はホテルやレストランで働きながら、夜は曲を作った。
この時期は、彼の音楽にカリビアンリズムや英語圏のサウンドが混ざり始めた転機でもある。
現地のミュージシャンとセッションを重ね、レゲトン、ダンスホール、ソカなどの要素を体で覚えていった。
「自分の音楽を信じること」と「生きるために働くこと」──
その両立を経験したことで、彼の歌には“誠実な強さ”が生まれた。
当時、彼はキュラソーからInstagramやSoundCloudに音源をアップしていた。
「再生回数は少なかったけど、誰かが聴いてくれるのが嬉しかった」と後に語っている。
それはまだ無名の若者の記録だったが、いま聴くとすでにRyan Castro特有のスイングとリズム感がある。
彼の“世界への第一歩”は、南米でもヨーロッパでもなく、小さな島の厨房の裏で始まっていた。
Scene 3:地下からブレイクへ – 「Mujeriego」で街が動いた
そして、2021年。
彼の人生が劇的に変わる瞬間が訪れる。
同郷のアーティストFeidとの共演曲「Monastery」が、地元メデジンでバズを起こした。
クラブDJたちがこの曲をかけると、観客が一斉に合唱する──
“¡Ryan Castro el cantante del ghetto!”
このフレーズが叫ばれるたびに、ストリート出身の彼がスターに昇格していくのを誰もが感じた。
さらにその勢いでリリースした「Mujeriego」は、TikTokで一気に火がついた。
リズムの跳ね方、声のノリ、そして“遊び人”をテーマにした軽快な歌詞。
SNSでのダンスチャレンジが世界中に広まり、Spotifyのグローバル・バイラルチャートにランクイン。
Ryan Castroの名前は、コロンビアの若者にとって“メデジンの誇り”そのものとなった。
この時期、彼はインタビューでこう語っている。
「俺はラッパーでもシンガーでもない。俺は“バリオの語り部”なんだ」
音楽のトレンドを追うのではなく、バリオの日常をそのままビートに乗せた。
Scene 4:世界とつながる – コロンビアからラテン・グローバルへ
2023年、Ryan Castroは新たなステージへ。
メキシコのスーパースターPeso Plumaとの共演曲「Quema」がリリースされる。
この曲はYouTubeで3億回再生を突破し、米ビルボードHot 100にもランクイン。
ラテン・ウルバノの国境を越えた象徴的コラボとなった。
彼がメデジン出身であることは、ラテン音楽の勢力図においても重要な意味を持つ。
プエルトリコがレゲトンの中心であった時代を経て、
今やコロンビア(Feid、J Balvin、Karol G、Ryan Castro)が次世代のハブになっている。
彼の音楽にはプエルトリコのストリート感、メキシコの荒さ、
そしてコロンビア特有のメロウな哀愁が絶妙に混ざっている。
また、この時期から彼のライブパフォーマンスも進化した。
コロンビア国内フェスだけでなく、スペイン、アメリカ、オランダなどでのステージもこなすように。
観客にマイクを向けるたびに、あのバスの中で鍛えた“生の声”が蘇る。
世界のどこで歌っても、彼の発する言葉には“barrio”という体温が残っている。
“成功しても地元を忘れない”──
この姿勢こそが、Ryan Castroを「グローバルなのにローカルな存在」として際立たせている。
Scene 5:El Cantante del Ghetto – 現在地とこれから
2024年5月、ついに彼は初のスタジオアルバム『El Cantante del Ghetto』をリリースした。
タイトルはまさに、自分の代名詞。
このアルバムにはArcángel、Peso Pluma、Myke Towersといった
トップアーティストが名を連ね、全18曲で構成されている。
1曲目からラテンの熱気が押し寄せる。
ビートは太く、リリックはリアル。
だが、その中にあるのは常に“希望”だ。
どんなに貧しくても、自分の声を武器に世界を変えられる。
それがこのアルバム全体のメッセージだ。
彼は今、Sony Music Latinとの契約を経て、よりグローバルな活動を展開している。
それでも彼のInstagramには、メデジンの街角や友人たちとの写真が頻繁に登場する。
スターダムの中でも地元を忘れない姿は、ファンの共感を呼んでいる。
そして、ここからが本当の勝負だ。
ラテン・ウルバノが英語圏ポップを飲み込む流れの中で、
Ryan Castroは「バリオのリアル」を持ち込んだ最後の世代になるかもしれない。
その歌声には、プエルトリコのリズムでも、マイアミの洗練でもない、
メデジンの埃っぽい熱が宿っている。
「俺が歌うのは金のためじゃない。
昔の自分や、まだ夢を見ている子どもたちのためだ。」
彼の言葉は、メロディよりもずっと遠くまで届く。
ストリートで始まった声が、いまや世界のフェスを震わせている。
それでもRyan Castroは言うだろう。
“Soy del barrio, pero el barrio también es mío.”
──「俺はバリオの一員だが、バリオもまた俺のものだ。」
まとめ:なぜRyan Castroは今チェックすべきか
- 貧困街から世界の舞台へ。リアルな“ゼロからのサクセス”。
- ダンスホール、ヒップホップ、レゲトンを自由に行き来する柔軟なスタイル。
- SNSとストリートをつなぐ“今世代の象徴”。
- 最新アルバム『El Cantante del Ghetto』が、ラテン・カルチャーの未来を指し示す。
日本ではまだ彼の名は広く知られていない。
だが、Bad BunnyやFeidと肩を並べる日もそう遠くないかもしれない。
Ryan Castroは、ラテン音楽が「華やか」だけではなく、
“生きるための音楽”であることを思い出させてくれる存在だ。
バスの中で生まれたその声が、いま世界を動かしている。



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